
私は2014年4月、突然の難病の発症により、その時勤めていた会社を休職せざるを得なくなりました。
直後は職場復帰を考えておりましたが、状態は到底それに適うものではありませんでした。焦りやストレスを感じることなくリハビリに専念したいと考え、身内の後押しも得て、先が見えない不安を抱えながら決断し、それまで20年務めていた会社を翌年の2015年9月に退職しました。
それからはリハビリ、すなわち、身体機能の回復こそ仕事、と捉え基本的な生活以外のすべてを排し「リハビリだけの生活」で良いのだと自分を思い込ませてきました。
発症以後自宅に戻ることは叶わず、ずっと在宅型施設暮らしでした。そこで一途にリハビリ生活とし、体の回復のみを信じ出来る限り尽力したつもりでした。しかしその生活で7年を経ても回復の目途は一向に立たず、それを私は「リハビリが足らない」と考え、それまでより多くリハビリが出来る施設に転居までしてリハビリを強化、継続する道を選びました。
ところが、それでも回復の見込みが立たないまま更に1年が過ぎました。それは、リハビリ如何ではなく、「私の体ではこれ以上は無理」と諦めざるを得ないと観念しました。この上なく辛く悔しい決断でした。
それまでの間、ほとんどリハビリしかしておらず、その諦めは後悔に似た失望、それに大きな不安、また途方もない迷いにもなりました。
ずっと無職で過ごし続け、その後を考えても何も思い浮かびませんでした。何かしよう、何かせねば、と考えても先ず何もする気が起こらない。何をしていいのかも分からない。仕方なく何か楽しい趣味を見つけたとしてもそれだけで過ごし続けることは出来ない。また、それまで色々不満はあっても穏便に過ごして来られたのだから、「このままでいいのではないか」と考えることもありました。
しかし、それまでの生活は、社会から遠く離れた状態であるばかりか、ほとんど対外的な接点もなく孤独を極め、強い疎外感を覚えました。そして、身に染みる実感に苦しみながら過ごすことになりました。この時ほど自分の存在、そして生き甲斐、生きている意味や人生を考えたことはありませんでした。
そこで、社会との接点を持つためにも、何か打ち込めるものを見つけたい。でなければ自分の身が持たない。長く続く時間をやり過ごせないと真剣に考えました。 よくよく悩み考えた末、それは「仕事しかない」という思いに至りました。ただ、簡単に「仕事」と言っても何か思い付くものは全くありませんでした。
それから様々思いを巡らすことになり、以下3点より自分を見直しました。
- 生きることに楽しさを感じたい
私はまだ50歳過ぎの、世間的には「まだ若い」と言ってもらえる歳の者です。今後何十年も生きるなら、自分の好きなこと、例えば趣味等だけで過ごすことはとても考えられない。そして以下②を考えることになりました。
- 自分の生き甲斐と生きる価値を見出したい
自分が生きている価値など、誰か人様から言われて納得することは恐らくないと思います。それよりも自分自身がそう思える生き方をしよう。それがもし「世のため人のため」になれば、ひいては自分の生き甲斐になるのはないかと考えました。
- 本当にやりたい仕事をしていい
私は学校を卒業後、新卒の一括採用で就職しました。好きな仕事と言うより、世間の流れに乗って働き出しただけです。就職後その会社や仕事が好きになったり、幾ばくかの志を持ったりはしましたが、今思い返せば、好きな仕事を選んだ結果とは言えません。こうなった今であれば、今度は本当にやりたい仕事を探せられる機会を得た、と考え直すことにしました。
以上のように頭で考えられたとしても、何から手を付けていいのか全く分かりませんでした。それに、無職の時間が長すぎて、いざ働きたいと考えても、果たしてそれがどこまで本気なのか自分でも分からなくなることがありました。でも、先に感じた孤独感、疎外感ほど辛いものはなく、どうしたものかと強く悩みました。
そんな思いで悶々としているところに、リハビリの先生から紹介してもらったのが「脳卒中・身体障害専門就労支援センターリハス」でした。この「リハス」との出会い、また、それによる私の驚きと内々なる劇的な心境の変化は前回の記事で書かせて頂いた通りです。
私自身、「仕事」と言っても自分に何が出来るのか、また、何がしたいのか分からない。でも、行動を起こさねば何も変わらず前にも進めない。現在も具体的に何を、とは言えません。しかし、「リハス」で様々な興味深い訓練を受けることで自分の目を覚まさせ、そして何か有益な方向性を見つけられるのではないかと日々前向きに励んでいます。

こういった意味で、今の就労支援を受けられること、そしてその訓練にとても魅力を感じています。
あくまでも目的は社会復帰、そして「仕事」をすることです。
それを叶えることで、自分の生き甲斐と生きている意味と楽しさを改めて見つめ直したいと考えています。