【利用者コラム】 こころはうらはら わたしの到達点はあるのだろうか

“70歳までは現役でいたい”

でも60歳になったら少しセーブしようかな、などと漠然と、

しかしはっきりと思ってた。

あの時までは。

脳出血だなんて、ありえないと思った。

私は38歳の時、胃がんを経験している。だからとりわけ体調不良には注意は払ってきた。

脳ドックは受けてなかったけど、頭痛が続いたら、めまいを感じたら、

他人は気にしないレベルでも、医者に行っては、MRIやCTを2年に一回くらいは受けてたから。

緊急入院して2,3日後、担当医が脳の写真を持ってきた。

そこで私は事態をようやく認識した。私の手と足が動かないのは何故かを。

急性期ではあまり喋る必要性がなかったから手と足以外にまだ障害があるなんて気づいていなかった。

回復期病院へ転院して、もっと自分の現実を知った。

失語症、脳がリセットしたかのように計算が思うように出来ない、脱力したままの右半身。

一旦、私はこれら全てを受け入れてエンジンをかけた。

わたしはスマホとタブレットを病室に持ち込んで…、

つたない動作で検索したら「出来るだけ早くリハビリを開始」という言葉を見つけたから。

泣いてる暇なんてなかった。

一日も早く職場復帰をしたかった。

仕事をしていない私を想像できなかった。仕事をしていて職場の仲間や業績に裏切られることはあったけど、“わたしの仕事”は私を裏切らないから。

リハビリは1日3時間と決まりがあったけど、私の入院している24時間は私だけのもの。だから私の起床から消灯までは全て(3時間以外)自主トレに。

計算は小学1年から始まり、クロスワードパズル…、ベッドや手すりを使って筋トレ…

そんな日が続き、一月過ぎたある日

会社から大きなダンボールが自宅に一つ届いた。

就業規則では私は半年の休職扱いのはず。

なのに、そのダンボールは私の私物だった。

奈落に落とされた気分だった…。

2,3日放心状態だったけど、私は再び立ち上がった。

今度は退院後の新しい生活を見据えた未来を考えた。

自分の今後のリハビリ施設をどうしたらいいか。

通所リハビリ、訪問リハビリ、外来リハ、自費リハ…

片っ端からメールを送り自宅にパンフ送ってもらい、溜まったパンフを家族に病院に届けてもらった。

就労支援を障害者で検索するといろいろ出てくる。しかも想像よりも多い。

利用者の声をどこも載せてはいるけれど、若年層か精神疾患の方が多く…。

私みたいな中高年はどうするの??という状態になり、ちょっと就労支援は棚上げ状態になった。

脳出血という病気そのものにフォーカスをあててみた。観点を変えてみた。

もうこの頃には発症から3,4カ月経っていた。

“脳出血”で探してるなかにリハスが舞い込んできた。

文字どうり、舞い込んできた。

一ケ月位、身障者、就労支援ではヒットしなかったから。

ああ、もうここだ!ここしかない!!

そして退院してから10日ぐらいたった日から通っている。

今も通っている。

今、私は何を考えているのだろうか。

入院中の私は、抗えない現実を突きつけられ…

「でも、すぐに立ち直り、そして前むきに進んでいく」そんなふうに見られているのかもしれないが入院して4カ月も経つのに病状説明をしない担当医に鬼の形相で怒りをぶつけたこともあった。

みんな知らない、私は天国と地獄を行ったり来たり

今の私も天国と地獄を行ったり来たり

女性 50代

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リハス